幸せを享受すること

確実に訪れる未来なんてものはない。
明日を当たり前に信じているけど、明日なんて本当にくるかわからない。
でも、信じずにいられない。信じていないと生きられない。現状に満足していないから、明日に期待せずにはいられない。

ふとした時に思う。考えてしまう。以前もテーマにしたがなんのために生きているのか、幸せになるためだとしたら、幸せとはなんなのか。
衣食住が確保できており、趣味もある。友だちもいる。おいしいごはんを食べて、温かいお風呂に入る。幸せじゃないか。
でも何故だろう。時々虚しさ、息苦しさ、寂しさが襲ってきてどうしようもなく泣きたくなるのは。

ずっとどこかが満たされない。何が原因かはわからない。将来への漠然とした不安、見ないふりをした理不尽、日々我慢している様々なこと。気づかない内に溜まったものが時折重くのしかかってくる。
その内約はわからなかったりする。私は何を我慢しているのだろうか。何が嫌なんだろう。今泣きそうになっているのは何故なんだろう。何がそんなに辛いんだろう。
わからないけど、ただ、呼吸をすることすら苦しい。
話を聞いて欲しいわけでもない。話せることなんて何もないから。何がこんな気持ちにさせるのか、わからないのだから。

進撃の巨人でアルミン・アルレルトが言っていたが、わからないことばかりだ。それでも、選択の時間はくるのだ。わからない中でも、進まなければいけない。否応なしに時間は進む。こちらがわかるまで待っていてなんてくれない。道は前にしかない。変わらないものはない。確実なものなんて何一つない。
でもその中で変わらないものを探してしまう。確実性を求めてしまう。

今この時間が終わってしまうことが堪らなく怖い。今の幸せが、楽しさが、いつか感じられなくなってしまうことが怖い。いつまでも続いたらいいのにと願ってしまう自分がいることがとても怖い。

今の幸せを享受したいと思っているし、楽しめる限り楽しんでやる!と思っている。
人生は線ではなく点の連続で、今を精一杯生きるしかない。それが次の点に繋がり、連なることによって結果的に線のように見えるのだ。未来のためにできる最上は、今を大切にすることだ。未来のことなんて誰にもわからないのだから。

キラキラした未来を想像することもある。悪いほうに考えてしまうこともある。でも、そのどちらも怖い。未来が来てしまうのが怖い。でも、待っていてはくれない。少しずつ、しかし確実に、時は進んでいく。それが堪らなく怖いのだ。

みんな何故日々生きるのが怖くないんだろう。当たり前に幸せを享受できるのだろう。
こんなにも怖くて仕方ないのに。