夢とか希望とか

将来の夢、希望、目標の話。

私が今までに抱いたなりたいものは、
画家、ファッションデザイナー、ミュージシャン、小説家、作詞家…
と、全部芸術関係だった。
でもどうしても絞れなくて、やりたいことを1つに絞れない私はダメなやつだ。何か1つに必死になれないと成功なんてしないだろう。と思って諦めようとしていた。

しかし、最近思ったことがある。
挑戦する前に諦めるのっておかしくないか?
どうしても挑戦できない環境にいるというのならいざ知らず、そういうわけでもない。なら、挑戦すらせずに燻っている今の私は何なんだ?とても勿体無いことをしているのではないだろうか。

やりたいことがたくさんあって何が悪い。
やりたいことが何もないよりずっと良いじゃないか。
そもそも1つに絞らなきゃいけないなんて、誰が言ったんだ。
そう決めつけたのは私だ。

無難な道を歩かないといけない、安定した職に就かなければならないと思い込んでいた。
しかしそれで自分のやりたいことを疎かにしてしまっては、死んでいるのと同じなのではないか。
変化のない日々は死んでいるのと同じだ。前進しないのは後退しているのと同じだ。

何のための安定だ。安定していれば幸せなのか?きっとそれは違う。
いつの時代も人々は変化を求めている。
それは同じ毎日の繰り返しでは、得られないものだ。

夢を見ないほうが利口だと言うならば、私は夢見る馬鹿でいい。


あ、でもやりたいことだけやってるだけじゃダメだ。
やりたいことをやるためには、やりたくないこともやらなければいけない。でも、これを乗り越えればやりたいことがやれるぞ!と思えば頑張れる。
そのために、ある程度の安定は必要なんだ。
安定のためにやりたいこと全てを投げうつ必要はないけれど、やりたいことのために最低限の安定は確保しなければならない。
本来安定って、そのためのものだと思うんだ。
安定は最終的な目標ではなく、基盤であって。
その上に、楽しさだったり進化だったりがあると思う。

最低限やるべきことはやって、安定を確保しつつ、自分のやりたいこともやる…。けっこう難しい\(^o^)/

でもそうやって生きたいんだ。
生きたまま死んでいるようにはなりたくない。
生きることに意味なんてないのかもしれない。
球磨川禊先輩は
『人間は無意味に生まれて』
『無関係に生きて』
『無価値に死ぬに決まってるのにさ』
って言ってましたが、それもまた然りでしょう。
確かにそうなのかもしれない。かもしれないけど、意味も、関係も、価値も、個人が勝手に決めるものなのさ。
その人が意味があると思ったら、関係があると思ったら、価値があると思ったら、それでいいんだ。ほれが全てなんだ。全てはその人の考え方なんだ。

と、それも私の考え方なので、他の人がどう思うかは知りませんけどね。