嘘について
苦しいしつらいし悲しいけれど、きっと事情があるのだろうと涙を飲み込んで、騙されたふりをしてあげることもできる。
でも、二度目は許せない。
また、嘘や隠し事を指摘された後の行動もとても重要だと私は思う。
一度指摘されたり疑問に思われそれを否定したのにも拘わらず、それも嘘だったら?
その時受けるショックは並大抵のものではないだろう。
だからもし指摘されたとしたら、一生嘘を突き通し真実に変えるか、大人しく白状するかの二択だと思っている。
ただ、嘘をつき続けるというのはかなりの労力である。罪悪感が襲ってくることもあるかもしれない。楽になりたくて言ってしまいたくなることもあるかもしれない。
それでも隠すと決めたなら、それを貫かなければならない。最初は軽い気持ちでついた嘘だったとしても、指摘され、それでも嘘を貫くと決めたのであれば覚悟を決めなければ。
それが、嘘をつく者の義務だと私は思う。
誰かを傷つけないための、守るための優しい嘘もあると思う。
それは、もし気づいてもそっと見ないフリをしている。
優しさに対してこちらも「気づいていない」という嘘をつくのだ。
そんな嘘はもしバレたとしても、騙されたという気はしないのではないだろうか。
何でも馬鹿正直に言ってしまうというのも考えものである。
よく物事を言い換えるときに「オブラートに包む」というが、あれも一種の嘘だ。お世辞だって嘘だし、この世は嘘に溢れている。全てが嘘ではないが、全てが本音でもない。
嘘と本音のバランスで良い関係を成り立たせている。
全てが嘘でも、または全てが本音でも、なかなか上手くはいかないのではないだろうか。
まとめ
嘘は必要だけど、取り扱い注意。