嫌いってなんだろう

先日「みつきって嫌いな人あんまりいないよね」と言われた。
たしかにそうかもしれない。
その人のある一定の言動が嫌いだと思うことはあっても、その人自身を嫌いになるまではなかなかいかない。

臭いものには蓋である。嫌なところは見ない振り。特別に仲の良い友だちならそれを指摘することもあるかもしれないが…
基本的にはゴミ箱に入れて蓋をする。
そのゴミ箱がいっぱいになったときが、その人自身を嫌いになるときだと思う。

あ〜〜でも、嫌いになってもこっちから関係を切ることはあんまり無いかもなぁ…
相手が恋人だったらバイバイしちゃうけど←
ただ私の中での区分が、友だちから「どうでもいい人」になるだけで。

自分から切ることはしないけど、切れてもまぁ仕方ないな…って思っちゃうのは、
「私の嫌いな〇〇ちゃんと仲が良いから、△△ちゃんもイヤ!」系の人。

そして「〇〇ちゃんは私の!他の子と仲良くしないで!」系の人です。
それを言ってくる子のことを嫌いにはなりませんが、向こうがそれが理由で離れたいというなら仕方ないな…と思います。
いくらその子のことが好きでも、それで自分の交友関係を狭めるのはバカらしいな〜って思っちゃうんだな…。

もうね、嫌い人にはわざわざ嫌いとか、あなたとはここまでよ!とか言うのすら嫌だ。
イヤなところを指摘されてる人は、まだ指摘したところが嫌なだけで、その人自身を嫌いになったわけではない。
私の嫌いっていうのは、「もう貴方に何の期待もしていませんよ」って意味です。
嫌なところがあろうがどうでもいい。何の期待もしていないのですから、指摘する意味もない。わざわざ争う気すらも起きない。

…って、そこまで嫌いになるような人ってほんと滅多にいないです。
よっぽどのことしないとww

というわけで、私の考える「嫌い」についてでした。

好きとか嫌いとか

世の中には色々な考え方の人がいます。
中には何もかも自分と正反対の、1つも意見が合わない人だっているかもしれません。
誰かが喜ぶことが、他の誰かには不快だったりもします。そんな中、「多くの人に愛される」ことはできても、「全ての人に好かれる」というのは不可能です。

どんなにたくさんの人から称賛されるような行いをしたとしても、批判してくる人は必ずいます。
じゃあどうすればいいのか。
受け入れるしかないと思います。
あぁ、そういう考えの人もいるんだなって。
でもそれだけです。
あちらを立てればこちらが立たず。
色々な考え方の人がいる以上、全ての望みに応えるわけにはいかないのです。
なるべく不快になる人が少ない方を選びたいとは思いますが、ゼロにすることは出来ないのです。

自分を嫌いだという人に遣う時間は勿体無いです。
もうどうしょうもないの!何をしても、それが嫌だって人は絶対いるの!
だったら、自分を好きだと言ってくれる人のためにもっと時間を遣ったほうがずーーっといいなって思うのです。

カレーなら皆好きやろ!外れないやろ!と思っても、カレーが嫌い人もいるのです。
そしてカレー好きだよ!って人の中にも、辛口派・中辛派・甘口派が存在するのです。
さらに、インド風カレーがいいよ!って人も、タイ風カレーがいいな!って人も、日本の家庭の味じゃなきゃ許せない!って人もいます。
さらにさらに、シャバシャバのルーがいい人も、ドロッドロのルーがいい人もいます。
ライス派とナン派でも分かれます。
これら全てに一度に応えることは出来ないのです。

君が嫌いだと言ったものを、好きだと言ってくれる人もいるんだよー!!


嫌がる人のほうが多いことを続けるのは悪趣味ですが、好きって言ってくれる人のほうが多いのなら、それはやめなくていいことだと思うのです。

きっと、嫌!って言った人のニーズを満たす人は他にいます。それが貴方ではなかっただけなのです。
自分が幸せにできる範囲の人を幸せにすればいいと思います。
その範囲から漏れてしまった人は、きっと他の人の範囲に入っています。
だって色んな考え方の人がいるんですもの。
カバーできる範囲はそれぞれ限られているのです。
皆でカバーし合えばいいのです。

だからね、嫌いだと言われてもめげないで。
そんなあなたのことを好きだと言ってくれる人が、どこかにいるはずだから。


ま、なるべく嫌われたくないけどね!!
不快にさせたくなんてないけどね!!
でも1人も嫌な気持ちにさせないなんてきっと無理だもん…
だから、好きだって言ってくれる人を大切にしたいと思っている次第でございます。

「スイッチが切れる」ことについて

いきなりやる気がなくなり、どうにも身体が動かなくなったりするようなことを「スイッチが切れる」と言いますが、あれってなんなんでしょうね。

唐突にふっと、ホントにスイッチを切ったかのように、何に対しても意欲が湧かなくなってしまうことがあります。
昨日まであんなにやる気に満ちあふれていたのに、次の日目が覚めると身体が鉛のように重たい。まぶたも重くて開かない。どうにか起き上がるも、心もどんよりと落ち込み、どうしようもない空虚感に苛まれ、何もしたくなくなってしまう。

そうなると、本当に何もできないんです。
外出もできないし、ご飯を食べることすら面倒くさい。
「明日は時間があるからこれをやりたいな♡」なんて楽しみにしていたことすら出来ない。

そんな日が1ヶ月に1回くらいあります。
どうにも気分が上がらなくて虚しくてさみしくて…何だかノスタルジックになったり、センチメンタルな気持ちになったり。
そのうち勝手に上がるんですけど、このスイッチが一体どこにあるのか自分でもわからないのです。
押せるもんなら押してくれー!!

夢とか希望とか

将来の夢、希望、目標の話。

私が今までに抱いたなりたいものは、
画家、ファッションデザイナー、ミュージシャン、小説家、作詞家…
と、全部芸術関係だった。
でもどうしても絞れなくて、やりたいことを1つに絞れない私はダメなやつだ。何か1つに必死になれないと成功なんてしないだろう。と思って諦めようとしていた。

しかし、最近思ったことがある。
挑戦する前に諦めるのっておかしくないか?
どうしても挑戦できない環境にいるというのならいざ知らず、そういうわけでもない。なら、挑戦すらせずに燻っている今の私は何なんだ?とても勿体無いことをしているのではないだろうか。

やりたいことがたくさんあって何が悪い。
やりたいことが何もないよりずっと良いじゃないか。
そもそも1つに絞らなきゃいけないなんて、誰が言ったんだ。
そう決めつけたのは私だ。

無難な道を歩かないといけない、安定した職に就かなければならないと思い込んでいた。
しかしそれで自分のやりたいことを疎かにしてしまっては、死んでいるのと同じなのではないか。
変化のない日々は死んでいるのと同じだ。前進しないのは後退しているのと同じだ。

何のための安定だ。安定していれば幸せなのか?きっとそれは違う。
いつの時代も人々は変化を求めている。
それは同じ毎日の繰り返しでは、得られないものだ。

夢を見ないほうが利口だと言うならば、私は夢見る馬鹿でいい。


あ、でもやりたいことだけやってるだけじゃダメだ。
やりたいことをやるためには、やりたくないこともやらなければいけない。でも、これを乗り越えればやりたいことがやれるぞ!と思えば頑張れる。
そのために、ある程度の安定は必要なんだ。
安定のためにやりたいこと全てを投げうつ必要はないけれど、やりたいことのために最低限の安定は確保しなければならない。
本来安定って、そのためのものだと思うんだ。
安定は最終的な目標ではなく、基盤であって。
その上に、楽しさだったり進化だったりがあると思う。

最低限やるべきことはやって、安定を確保しつつ、自分のやりたいこともやる…。けっこう難しい\(^o^)/

でもそうやって生きたいんだ。
生きたまま死んでいるようにはなりたくない。
生きることに意味なんてないのかもしれない。
球磨川禊先輩は
『人間は無意味に生まれて』
『無関係に生きて』
『無価値に死ぬに決まってるのにさ』
って言ってましたが、それもまた然りでしょう。
確かにそうなのかもしれない。かもしれないけど、意味も、関係も、価値も、個人が勝手に決めるものなのさ。
その人が意味があると思ったら、関係があると思ったら、価値があると思ったら、それでいいんだ。ほれが全てなんだ。全てはその人の考え方なんだ。

と、それも私の考え方なので、他の人がどう思うかは知りませんけどね。

なんのために生まれて なにをして生きるのか

タイトルはご存知「アンパンマンマーチ」から抜粋。
子ども向けアニメの歌とは思えないめちゃくちゃ深い歌詞で、考えさせられます。

よく思うんですよ、私は何のために生きているのだろうかと。
最近はその疑問が浮かぶ度に
「僕らはみんな〜 幸せになる そのために生きてんだ〜♪」
って、からっぱこのキラキラミライの歌詞が出てくるんですが。
ここで次の問題が出てきます。アンパンマンマーチでいうと2番です。

「なにが君の幸せ? なにをして喜ぶ?」
これです。
幸せになるために生きてるといっても、じゃあ何が自分にとって幸せなんでしょう。

一般的に幸せとはこういうものだよ、ってなんとなーーーく基準はあるのかもしれませんが、それが必ずしも自分の幸せと一致するとは限りませんよね。
お金がいっぱいあって、時間もいっぱいあって、好きなことが際限なく出来たら幸せなのか?
それも違うような気がします。
私にとってはどってことないことでも、誰かにとってはすごく重要だったり。
その人の大切にしてるものを自分も大切にできたらいいんですが、そのせいで自分の大切にしてるものを疎かにしてしまったら意味がないし…。

じゃあ私にとって大切なものってなんなんでしょうか。
そうやって考え始めると止まらなくて、思考の迷路に閉じ込められてしまいます。
あの頃の理想とはかけ離れた自分。
でもそれが不幸だとも思えなくて。でもすんなり納得も出来なくて。それでも、進むしかない。

「ありのままじゃ誰かを愛せない」そして「ありのままじゃ誰にも愛されない」って、パスカメさんの曲がもうしみてしみて。
世間じゃありのままの姿を見せる曲が大ヒットしたりしましたが、ありのままで生きられないからこそヒットしたんだろな…と思ったり。
あれも言っちゃえばもう「ありのままで生きられないの疲れたのー!もういいやヤケクソだー!」って曲ですよね…。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズンしちゃってる人がいっぱいいるからこそのヒット曲なのだろうなと思うわけです。

じゃあありのままで生きたいのか?と聞かれたら、私はそうでもないような気もします。
思ったことをそのまま口に出したり、やりたいことを何でもかんでもやっていたら上手くいかないこともたくさんあって。
周囲との軋轢をなるべく生まぬようにするためには、時には我慢も必要。

そんなに気を遣ってしんどくないのかと聞かれることがありますが、私としては周囲とゴタゴタするほうがよっぽど面倒でありますでごわす。
なるべく穏便に平和に…大きなトラブルを避けられるのであれば、ちょっとした気遣いくらいへのかっぱ。というかそれに慣れ過ぎて気を遣わないほうが疲れる\(^o^)/


だいぶ話が逸れてしまいました。
今回は「何のために生きるのか、って聞かれたら幸せになるためなんだけど、じゃあ私にとっての幸せってなんじゃらほい!」
ってお話でした。

あなたにとっての幸せはなんですか?

はじめました

ブログを作ってはやめ、作ってはやめ…
懲りずにまた始めてしまいました。

Twitterに垂れ流すにはちょっと…って思うようなことがちょこちょこあるので、こちらに書いていこうと思います。

何卒よろしくお願い致します。