夢を抱くのは簡単ではない

私は、主人公が何か物凄い素質を見出されたり、とにかく熱中できるものを見つけてのめり込んでいき、夢を追いかけるようになったりトップへの道を進んでいくような物語が好きだ。 

そうなりたかった。私も、夢を追いかけたかった。 小さい頃、夢を人に言うのが怖かった。私の好きなものは芸術方面にかたよっていて(これは今もだけど)、叶うわけない、やめておけと言われるのが怖かった。自分でも、それに全てをかけて叶わなかったらどうするんだとか、そもそも全てをかけるような熱量があるのだろうかとか、そんなことが気になって。 夢を口に出せなかった。夢と呼んでいいのかもわからなかった。ただ好きなだけで、それを言う勇気がなかった。

 人は苦手なことよりも、多少人より上手くできることを好きになることが多いんじゃないかって思う。 人より上手くできれば褒められるし、褒められたら嬉しいし、自信だってつく。そうしたら、そこを伸ばしたいと思うのは当然だと思う。もちろん、苦手なことでもそれが好きで上手くなろうと必死な人だっているだろうけれど。でも、ちょっと得意だったことがそのまま好きなことになってる人は比較的多い気がする。 

私もその口だが、こう…自分で言うのは憚られるが私は、そこそこなんでも平均以上に、人より上手くできた。 だから色んなことに興味を持って、色んなことをやったけど、そのほとんどで上位になることができた。 でもそのほとんどで私は1番ではなかった。 それが悔しいはずなのに、変に高いプライドが邪魔をして素直にそう言えなかった。逃げ道を用意してしまった。 

小学校高学年とか中学生とかの頃、文化祭とかで全力のやつは恥ずかしいみたいな風潮があった。演劇とか歌とか、何マジになっちゃってんの?って笑われてしまうような雰囲気があった。 私は恥ずかしくて、ちょうどいい塩梅を探してしまった。全力になれなかった。 マジなやつのほうがかっこいいのに。そんなの、自分が1番知ってるのに。でも笑われるのが怖くて、できなかった。

 今だって、好きなことも得意なこともたくさんある。 でも、自分の全てを投げ打って、他の全てを犠牲にしてでも叶えたいような夢がない。 そんな夢があるような人のほうが少ないのかもしれないけど、そんな夢がある人が羨ましくて仕方ない。 気持ちだけが熱くなって煮え滾ったまま、動けずにいる。感情だけが昂ぶって、行動が追いつかない。どうしたらいいのかわからない。 やりたいこともなりたいものも多過ぎて、全部が中途半端だ。そんな自分が情けない。

死に急ぐこともあるまい

私の好きな漫画のセリフランキングで絶対上位に入ってくるものに、ジョジョの奇妙な冒険
「人間の寿命はどうせ短い。死に急ぐ必要もなかろう」
ってのがあるんですけど。
この発言をしたキャラクター、ワムウはこの時約12000歳。そんな彼からしたら人間の寿命なんて一瞬に過ぎないんですよね。

例えば、ラボードカメレオンってカメレオンがいるんですけど、絶滅危惧種でもあるその種の寿命は約4ヶ月〜半年だそう。だからワムウのこの発言は、私たち人間がそういう生物を見て言うようなもんなんでしょう。
余談ですが、短命の生物っていうとよく挙げられるセミとかは成虫の期間が短いだけなんで違うやつにしました。

話が逸れました。とにかく、人の一生なんて広い目で見ればそんなに長いもんではないんだなと思ったわけです。
しかしながら、苦しく辛い状況に身を置かれている時は、その時間が永遠に続くかのように感じてしまうのですよね。過ぎてみれば一瞬なのですが、体感時間って不思議なものです。
今の地獄が続くなら死んだほうがマシだと、そちらを選んでしまう人もいるのでしょう。
でもそこでちょっと考えたい。
それは、マシじゃなかったらどうしよう…ってこと。

死後の世界を見てきた人ってのはいないんですよ。いや、死から蘇った!みたいな話とか、臨死体験とかは聞くけど。それを信用してないとかじゃなくて、完全に死んだわけじゃないじゃんそれ!死にかけただけじゃん!って思うんですよね。
あとは、天国と地獄があるとして。どの程度で地獄に堕ちるのかわかんなくない…?例えば殺生をしたら、とかだったとしてそれが人間とかだけじゃなくて「はい虫殺したから地獄行きで〜す!」みたいな基準だったらどうしようってなりません?
そこまで酷くなくても、めっちゃ基準厳しいかもしれないし。
実際仏教でいう殺生罪は虫一匹でも殺生は殺生だそうな。
まぁ宗教的な基準では色々あるけどそれはめんどくさいので置いとくとして。
何にしろ、死んだら今よりマシです!って保証はどこにもないわけですよ。

…いや怖くない?めっちゃ怖いじゃん。生きてたほうがなんとかなるんじゃない?だってあの世のことは不確かな情報ばっかりで全然知らないけど、この世のことならまだいくばくかは知ってるもん。
でもまぁ、生は難く死は易しとも言いますからね。うん。辛さや苦しみに耐えて生きるほうが、それから逃げて死んでしまうより難しいのかもしれない。
でも、もっと酷くなる可能性もあるってこと考えたら生きててもいいんじゃない…?って思うわけですよ。

ほっといても明日死んじゃう可能性も大いにあるわけだし。明日死ぬかもしれないのはあなたも私も同じでしょ?ってこれ、うちの母上の名言なのですが。(細かいとこは違うかもしれないけど知らん)
もしかしたら、明日自分を苦しめる元凶のやつらが全員死んじゃうかもしれないし。そんな余裕ないくらいの災害が起こるかもしれないし。死は選択肢の1つではあるけれど何もしなくても勝手にくるし、別にわざわざ選ぶものではないのではないかと、私は思うのです。

苦しんでる原因も学校だったり会社だったり家庭だったり、色々あると思う。
苦しんでるときは、そこから逃げ出すことなんて絶対にできないって思っちゃうんだよね。あるいは、逃げたらもっと不幸になるとか。一種の洗脳状態に近いような感じ。実際どうしようもない状況ってのもあると思うけど…
でも9割くらいは、抜け出すことができる。逃げたってどうにかなる。なるようになる。
どうなるかわかんないけど、そんなもんはやってから考えればいい。

ハリーポッターのハグリッドのセリフでこんなのがあります。「What's comin' will come, an' we'll meet it when it does.」日本語訳版だと、「来るもんは来る。来たときに受けてたちゃええ」ってやつです。
まだ来てもいない未来に怯えてビクビクする必要なんてないのです。そんなもんは来たときに考えましょう。

でもまぁ、やっぱどーーーーしても辛くて苦しくてどうしようもない時ってあるよね。

嘘について

先日嘘についてTwitterに書いた。
私は嘘全てが悪いことだとは思わない。
 嘘をつかなくいけない場面もたくさんある。
でも、もちろんついちゃいけない嘘もあると思う。 
また、嘘をついた後どうするかも重要なのではないだろうか。

 嘘は許せる。
私だって嘘をつく。 無意識のうちに嘘をついてる場合だってある。
嘘は悪いことじゃない。 
でも、誰かの気持ちを踏み躙る嘘は違う。 それは「裏切り」って言うんだ。

 裏切りも一度までなら許せる。

苦しいしつらいし悲しいけれど、きっと事情があるのだろうと涙を飲み込んで、騙されたふりをしてあげることもできる。

でも、二度目は許せない。

また、嘘や隠し事を指摘された後の行動もとても重要だと私は思う。


一度指摘されたり疑問に思われそれを否定したのにも拘わらず、それも嘘だったら?

その時受けるショックは並大抵のものではないだろう。

だからもし指摘されたとしたら、一生嘘を突き通し真実に変えるか、大人しく白状するかの二択だと思っている。


ただ、嘘をつき続けるというのはかなりの労力である。罪悪感が襲ってくることもあるかもしれない。楽になりたくて言ってしまいたくなることもあるかもしれない。


それでも隠すと決めたなら、それを貫かなければならない。最初は軽い気持ちでついた嘘だったとしても、指摘され、それでも嘘を貫くと決めたのであれば覚悟を決めなければ。

それが、嘘をつく者の義務だと私は思う。


誰かを傷つけないための、守るための優しい嘘もあると思う。

それは、もし気づいてもそっと見ないフリをしている。

優しさに対してこちらも「気づいていない」という嘘をつくのだ。

そんな嘘はもしバレたとしても、騙されたという気はしないのではないだろうか。


何でも馬鹿正直に言ってしまうというのも考えものである。

よく物事を言い換えるときに「オブラートに包む」というが、あれも一種の嘘だ。お世辞だって嘘だし、この世は嘘に溢れている。全てが嘘ではないが、全てが本音でもない。

嘘と本音のバランスで良い関係を成り立たせている。


全てが嘘でも、または全てが本音でも、なかなか上手くはいかないのではないだろうか。


まとめ

嘘は必要だけど、取り扱い注意。

推しについての質問やってみた

他の方のブログで推しがいる人へ究極の20の質問というのがあったのでやってみます。

http://s-seeker.hatenablog.jp/entry/2018/02/01/182758



1.推しの顔 or 性格、どっちが好き?
顔と性格のギャップが好きです…!
真顔でいると一見強面、なのに乙女趣味!
笑顔がめちゃくちゃかわいい!でも中身は昭和のThe・漢!
とにかく顔がキレイ。流し目のセクシーさは伝説級。スッと通った鼻にふっくらとした形の良い唇の造形美…!
多くを語らないけど大事なことはちゃんと伝えてくれる。たまに心配になるくらい優しい。
どっちも良いとか神なの…?

2.推しはかっこいい or 可愛い、どっち?
どちらかと言えば可愛い。可愛いのかたまりだと思う。1番かわいいのは戸惑ってるとき←
可愛いものが好き♡っていう君が1番かわいいよ…。
とか思ってると急にかっこいいとこが出てきて無事死亡。

3.推しは天使 or 悪魔、どっち?
天使!これは天使!天使でしかない!むしろ菩薩!

4.セクシーな推し or キュートな推し、どっちが好き?
これもギャップがいいんだって…!
あんなにかわいい推しが!ふっとセクシーな表情を見せるの!え、人類の宝過ぎない…?こんな尊くて大丈夫…?

5.推しにデレてる派 or ツンツンしてる派、どっち?
デレ100%。ツンツンしてる時間が勿体無い。


6.推しに名前を呼ばれるなら呼び捨て or ちゃん(くん、さん…etc)付け、どっち?
呼び捨てが落ち着きます…!ちゃん付けそわそわするw

7.一生推しの親友になる or 1日恋人になる、どっちが幸せ?
そりゃ前者だな…!1日恋人はそれが終わったあとどうなるのかによるw

8.推しの引退 or 恋人バレ(結婚発表…etc)、どっちが良い?
バレ。引退して会えなくなるのはやだ…!

9.推しに嫌われる or 推しを嫌いになる、どっちが良い?
まず嫌いになるって選択肢がこの世に存在しないよね…

10.推しに忘れられる or 推しのことを忘れる、どっちが良い?  
私が忘れてしまうことで、もし向こうが傷つくのなら絶対見たくないな。
でも、私なら忘れてもすぐ思い出せそうだから後者かなぁ…

11.推しのプライベート or 見たことのない仕事での一面、どっちが見たい?
仕事での1面。製作中が見たい〜!

12.推しの前にすっぴんで行く or ダサい服で行く、どっちが良い?
すっぴん。もう見られてるしいいや\(^o^)/

13.推しをいじめたい or いじめられたい、どっち?
私はドMです←

14.自分の一生に1回のイベント or 推しの一生に1度の晴れ舞台、どっちに行く?
んなもん推しの晴れ舞台だろう!推しは!人生だ!!!!

15.ひとりしか生き残れないなら推し or 自分、どっち?
推し(即答)

16.推しの過去 or 未来、どっちが見たい?
どっちも別にな〜。過去には興味ないし、未来はこれから見れるだろう。

17.生まれ変わるなら推しのファン or 推しの身内、どっちが良い?
推すことしか考えられない。

18.推しにかけたいのはお金 or 時間、どっち?
どちらも使えるだけ使ったらぁ←

19.推しを愛したい or 愛されたい、どっち?
愛したい!愛してる!!!!

20.推しのこと好き or 嫌い、どっち?
好きでしかない。そう、推しは人生である。
愛しさで溢れている。
推しがいることで世界がとても美しく見える。
推しisジャスティス。
こんなにも愛おしい存在がこの世にいていいのか。
生まれてきてくれたことに日々感謝。
同じ時代に生まれてこれて幸せ…!
好きの極み。みんな、推しはいいゾ。

わかり合うということ

人は完全に理解し合うことはできないと思う。できるのは、理解しようともがくこと。
でもそれが1番大事なのではないか。

みんなそれぞれ生きてきた環境も、元来もっている性格も、考え方も、感じ方も、違っているから。似てる人はいても、全てが完全に一致してる人なんていない。
一致しているように感じたとしても、「その人」になることはできない。私は私のままで、その人を見ることしかできない。だから、本当に同じかどうかはわからない。
わかったように思ったって、本当は全然わかってないかもしれない。

それでも藻掻く。わかりたくて、わかってほしくて、必死に藻掻く。それこそが大事なことなんじゃないかと思うんだ。

ただ自分の気持ちを吐き出すのはエゴでしかない。相手にどうすればわかってもらえるのか、試行錯誤する。そして、相手の気持ちを想像する。どんな想いを伝えたいのか、言葉の裏にはどんな感情や意図があるのか。想像することしかできないけれど。

わかってほしいと言いつつ、相手のことをわかろうとしないのはおかしい。
相手をわかろうとしないと、自分の気持ちを伝えることなんてできない。
押し付けるばかりじゃいけない。考えて考えて、それでもわからなくて。でもわかりたくて、人は話をするんじゃないのか。

わからないと一刀両断してしまっては、どうせわかってもらえないと諦めてしまっては、何も変わらない。
わかってくれるかよりも、わかろうと努力してくれるかのほうが大事なんじゃないか。
その姿勢が、嬉しいんじゃないのか。
相手が自分の考えをわかろうと努力してくれたら嬉しいし、どうしたら伝わるか真剣に考える。そして、もっとこちらも相手を理解しようと努める。
まずは自分から歩み寄らなければいけないのではないだろうか。

考え方に正解なんてなくて、ただ、様々な解釈があるだけ。その解釈のすり合わせを行うことが、わかり合うということに最も近づける策なのではないだろうか。

自分の考えをただ言うのではなく、相手がそれをどう解釈するかを想像する。もし違うように伝わってしまったなら、なぜその行き違いが生じたのか話し合う。
手間のかかることではあるけど、人と人が関わり合っていく中で、とても大事なことなのではないだろうか。

幸せを享受すること

確実に訪れる未来なんてものはない。
明日を当たり前に信じているけど、明日なんて本当にくるかわからない。
でも、信じずにいられない。信じていないと生きられない。現状に満足していないから、明日に期待せずにはいられない。

ふとした時に思う。考えてしまう。以前もテーマにしたがなんのために生きているのか、幸せになるためだとしたら、幸せとはなんなのか。
衣食住が確保できており、趣味もある。友だちもいる。おいしいごはんを食べて、温かいお風呂に入る。幸せじゃないか。
でも何故だろう。時々虚しさ、息苦しさ、寂しさが襲ってきてどうしようもなく泣きたくなるのは。

ずっとどこかが満たされない。何が原因かはわからない。将来への漠然とした不安、見ないふりをした理不尽、日々我慢している様々なこと。気づかない内に溜まったものが時折重くのしかかってくる。
その内約はわからなかったりする。私は何を我慢しているのだろうか。何が嫌なんだろう。今泣きそうになっているのは何故なんだろう。何がそんなに辛いんだろう。
わからないけど、ただ、呼吸をすることすら苦しい。
話を聞いて欲しいわけでもない。話せることなんて何もないから。何がこんな気持ちにさせるのか、わからないのだから。

進撃の巨人でアルミン・アルレルトが言っていたが、わからないことばかりだ。それでも、選択の時間はくるのだ。わからない中でも、進まなければいけない。否応なしに時間は進む。こちらがわかるまで待っていてなんてくれない。道は前にしかない。変わらないものはない。確実なものなんて何一つない。
でもその中で変わらないものを探してしまう。確実性を求めてしまう。

今この時間が終わってしまうことが堪らなく怖い。今の幸せが、楽しさが、いつか感じられなくなってしまうことが怖い。いつまでも続いたらいいのにと願ってしまう自分がいることがとても怖い。

今の幸せを享受したいと思っているし、楽しめる限り楽しんでやる!と思っている。
人生は線ではなく点の連続で、今を精一杯生きるしかない。それが次の点に繋がり、連なることによって結果的に線のように見えるのだ。未来のためにできる最上は、今を大切にすることだ。未来のことなんて誰にもわからないのだから。

キラキラした未来を想像することもある。悪いほうに考えてしまうこともある。でも、そのどちらも怖い。未来が来てしまうのが怖い。でも、待っていてはくれない。少しずつ、しかし確実に、時は進んでいく。それが堪らなく怖いのだ。

みんな何故日々生きるのが怖くないんだろう。当たり前に幸せを享受できるのだろう。
こんなにも怖くて仕方ないのに。

関ジャニ∞のこと

関ジャニ∞から、ジャニーズから、渋谷すばるくんが抜けると聞いて。
元ジャニオタとして思ったことを書いてみようと思う。あくまで主観のためおかしいところはスルーして頂きたい。

私がeighterと名乗っていたのは5年位前までだった。最近は現場から離れていたが、
なんやかんやでレギュラー番組は録画して見ていたし、CDも買い続けていた。

いくら現場から離れても、小学校~高校時代という多感な時期を(一方的にだけど)共に過ごした彼らは、私にとって特別な存在であることに変わりはない。

私はeighterで安田担を名乗っていたけれど、私含め他のeighterも「エイトは皆大好き!」って人が多かったように思う。今のファン事情はよく知らないのでわからんが。
その頃はまだ8→1思考を持つ人が多く、「8人で関ジャニ∞!」と言ってる人が多かったと思う。
実際ファンでグループ的なものを作ると、そこに内担もいるのが当たり前で。魂に行っても内担の姿を見るのは珍しいことではなかった。

でも2009年にグループに戻ることはないと言われて。
大倉くんも「8→1」って書かなくなって。
内くんの口からもQuestion?と頑張るって言われて。
もう戻ってくることはないんだってわかった。
8周年の時にエイトの口から内くんのことが出てきて、ようやくそれを受け入れられた。
関ジャニ∞は7人で、内くんは内くんで頑張っていると受け入れられた。
それが、まだ最近のことなのに。

私の思う渋谷すばるくんのイメージは、「関ジャニ∞を誰より愛してる人」で、脱退の噂を聞いたときは信じられなかった。
そこに書いてあった脱退の理由が、私やeighterの知る渋谷すばる像とは掛け離れたものだったから。
「これ書いた人すばるくんのこと全然知らないじゃんwwまたテキトーなこと書いて~」って鼻で笑ってた。

でも会見するって話が出てきて、段々不安になった。そんな理由で脱退するわけないけど、他の理由があるなら?って。

実際に会見を見た後でも、信じられないという思いがまだ強い。
すばるくんの気持ちも、他のメンバーの気持ちもわかった。エイトの絆をあらためて感じたし、これからの関ジャニ∞も、渋谷すばるも応援しようと思った。
でも、まだ受け入れられていない自分がいる。
頭で理解しても、心が追いつかない。

週刊誌で書いてあった内容は否定してくれてとても嬉しかったし、メンバーもすばるくんもたくさんたくさん考えた結果だってわかってる。頭ではすんなり理解できた。
でも、心はどうすればいいんだろう。

もう関ジャニ∞のステージですばるくんの歌声を聴けないんだと思うと、涙が止まらなくなる。
もうアイドル・渋谷すばるを見ることは出来ないんだと、想像できない。
関ジャニ∞ってアイドルグループやってます」って誇らしげに言うすばるくんを思い出して、どうしてって思ってしまう自分がいる。

でもこれは関ジャニ∞ってグループのファンとしての想いで、渋谷すばるくん個人のことを考えると、応援したいって気持ちが勝る。
会見で村上くんの言っていた、「メンバーとしては行ってほしくないけど、幼馴染としては送り出してやりたい」って言葉が沁みた。

「それでもこんな勝手な決断をしたすばるくんのことは嫌いになれない」って大倉くんが言っていたけど…
それは多くのeighterが抱いている気持ちでもあるんじゃないかと思います。
すばるくんが下した決断だもの。

関ジャニ∞ってグループが好きで、でも、渋谷すばるって人間も好きで。
想いを尊重したいと思ってるし、これからも関ジャニ∞を、そして渋谷すばるを絶対に応援する。
そう思ってはいるのだけど、まだまだ整理に時間がかかりそうです…